トビラノのブログ

日記を毎日更新しています

ピアノ・死・肉味噌 - 2021年4月14日の日記

 

午前中、久しぶりにピアノを触った。昨日のストリート(駅)ピアノに刺激されたのだ。ブギウギのフレーズを真似してみたり、小さいときお気に入りだったスコット・ジョプリンのメイプル・リーフ・ラグを少しずつ思い出しながら弾いたりして、そういえば小さい頃からニューオリンズスタイルのピアノが好きだったなと思い出した。たぶんボ・ガンボスの影響だ。もちろん当時はニューオリンズが何なのか全然知らなかった(今もよくわかってないが)。

 

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いつ聞いても笑っちゃう歌詞。でも笑っちゃうことこそが重要なんだと思う。「あそぼ〜よ 魚ごっこ」というのはドゥルーズの「動物への生成変化」と同じことを言っているのではないかな。

 

 

須原一秀自死という生き方』(2008年)読んだ。能動的、積極的な死の受容を推奨し、一つの哲学的プロジェクトとして65歳で自死した哲学者が書いた本。とっても面白かったし、自死を選んだ息子によるあとがきで、父・一秀が生前遺した本作の原稿を読んで「父にもう会えないのは寂しいが、悲しむことではない」と結論付けていたのが印象的だった。

自死による尊厳の保持という生き方、思想は一考の余地があるものだと思うし私も賛同したいところもあるけど、自助がことさらに強調され、自己責任論が浸透し、相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)の犯人の思想に大衆が“賛同”するような今の世の中では口に出すことさえ躊躇ってしまう。自死の権利を議論することができる倫理の土壌が全然育っていないから。

 

この本で始めて知ったことだけど、死の受容の5つのプロセスで知られる精神科医キューブラー・ロスは数十年間の仕事を通して、死は怖くない、誰にでも訪れるもの、死を受け入れましょう、みたいなことを言ってたにも関わらず、自身が病気(老衰)で亡くなる直前には全然死を受け入れられずかなり不機嫌になったりしていたようだ。人生レベルのガッカリ感が悲しい。

 

 

今日は晩ごはんに肉味噌のレタス巻きと、カボチャのスープを作った。肉味噌は味はうまくできたが、ネットに書いてるレシピをあんまり守らなかったので適量が分からず、かなり作り過ぎてしまった。

 

 

ガビガビザンビア - 2021年4月11日〜12日の日記

 

昨日は早起きして家事したり本読んだり散歩行ったり適当に過ごし、夕方からバイトへ。

バイトでは5人分の夕飯をつくった。鶏もも肉と野菜の生姜炒め、ピーマンと人参の卵とじ、味噌汁。えらいね!!!

 

今日はバイト後、家に帰らず直接万博公園へ行って、先輩とピクニックした。万博公園にはチューリップとかポピーとかかわいらしい花がたくさん植わっていた。お花畑を間近で見たのは数年ぶりか、下手したら小学生のとき以来かもしれない。


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先輩は東京に就職したものの、体調(心の調子)を崩して休職し、現在は地元大阪に帰って友達と遊んだりのんびり過ごしているとのことだった。元気を出してほしくて『理想の会社を考えるゲーム』をやったけど、「まず、芝生」「あと、みんな良い人」「雲の上にオフィスがある」など適当なことを言ってたら先輩が「自分はどうやって利益を出すかを考えていた。頭の中にすでにビルが建ってしまっている」と反省し始めたので止めた。


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そうそう、大阪モノレール万博記念公園駅の改札前ロビーみたいな場所に先月から新しくピアノ(アップライト)が設置されており、ピクニックの行きしなにちょっとだけ演奏した。アコースティックピアノを触ったのが結構久しぶりだったので最初の一音を鳴らすとき少し緊張した。ゆっくり鍵盤を押しこむとポーン……と例の音が広いロビーにひびき、なんか居心地の悪い思いがする。曲名も作者も思い出せないけどナントカ練習曲みたいなかんたんな曲を弾いた。ロケーションからQの某シーンを思い出し、連弾したいな、と思う。


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ガビガビのヒューマニズムと発展

 

2秒間の努力 - 2021年4月10日の日記

 

千葉雅也『デッドライン』読んだ。

 ずっと読みたくてワクワクしていたのだが、期待していた以上に面白かった。性について、哲学専攻の修士でありゲイである「僕」の目線で書かれることの全てが、異性愛者とは認めつつも未だになんとなく焦点の定まらない私自身の性的志向にも方向性を与えてくれたような気がした。印象に残ったのは「僕」が小学生のとき好きだった同級生の女子をどのように欲望していたかという部分。矛盾しているようだが極めて重要だ。

女性に「なる」こと(女性への生成変化)を元から女性である私はどのように捉えればいいのかわかんなかったけど、それでも分断された性(性別)を欲望するより「僕が君だとしたら?」という感覚の方がしっくりくるのは異性愛の新しい可能性だと思いたい。

 

デッドライン

デッドライン

  • 作者:千葉 雅也
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

夜寝る前、犬を庭に出してオシッコさせる。その後、家に戻る前にスリッパの裏の土を落としていると、犬が突然背中を丸めてウンコポーズになり、ウッドデッキで大量の下痢便をした。ウンコポーズになってからウンコが出るまで、およそ2秒弱(!)。ウッドデッキが汚れると掃除しにくいのでそれだけは防ごうと、咄嗟に近くの雑巾を広げたが、2秒間の努力も虚しく一部はデッキの上にベチャリ。さらにデッキから降りて地面で再び下痢をした。ウンコポーズで気張るのは相当足腰に負担がかかるらしく、便を出し切ったあとは力が抜けた様子でヒョコヒョコ歩いていた。その姿はあまりにも老犬だった。

 

ぬいぐるみ殺人 - 2021年4月9日の日記

 

こないだ、数千円ほど課金していたあんスタMusicをアンインストールして、今日はヒプマイARBと他に入れてたパズルゲームみたいなのを全部アンインストールした。絵描いたり本読んだりするのがどんどん楽しくなってきて、逆に今までスマホゲームに費やした時間のことを考えると嫌になってきたので。

何十時間もやり込んだゲームが灰燼に帰すとも躊躇しない、それがワタシ!!!

Twitterアカウント削除したときも、今まで楽しんでやってたことが急にどうでもよくなって(というか、嫌になって)やめた、という全く同じ現象が起きていた。

 

他にも、幼少期からめっっちゃ大事にしてきたぬいぐるみ30体以上をある日まとめて全部捨てたりしたことがある。

 

ぬいぐるみの件は振り返ると、大事にしていたぬいぐるみたちとの距離が歳を重ねるごとに広がっていくことの罪悪感、重圧に耐え切れなかったんじゃないかと思う。あるいはぬいぐるみを見境なしに買ったり貰ってきたりする過去の自分と決別したかったのか。

保育所の頃からお気に入りだったウサギのぬいぐるみ2体(「りかんちゃん」と「ちぃ」という名前だった)、あれだけはせめて残しておいたらどうかと母親が提案してくれたけど、当時のわたしは全然聞く耳を持たず、そこまで思い入れのないサルのぬいぐるみとかと一緒にまとめてゴミ袋に詰め込んだ。

 

いや……当時のわたしは、と反省気味に書いたけど、今あの瞬間に戻れたとしても同じ判断をすると思う。りかんちゃんとちぃを捨てたことは今でも後悔していない。りかんちゃんとちぃのことが嫌いになったり関心がなくなったりしたのではなく、むしろその真反対で、りかんちゃんとちぃがぬいぐるみという空間的広がりをもった物体として存在することで私とりかんちゃん、ちぃとの深い心の繋がりが保てなくなることを危惧したのだ。りかんちゃんとちぃ、その他のぬいぐるみたちをぬいぐるみである以上に大事にしていたからこそ、「ぬいぐるみとしての」彼らを棄てたかった………のかもしれない。これ「愛する人を殺して永遠に自分のものにする」と同じ理屈だと指摘されても言い逃れできないな。

 

ちなみに、りかんちゃんのイントネーションは「蜜柑ちゃん」ではなく、「罹患ちゃん」。

 

犬たちよ - 2021年4月8日の日記

 

朝、PCR検査の結果を知らせる電話で目覚めた。陰性だった。

 

 

大学の先輩と話していて、少し前にTwitterで話題になったこちらの記事を読んだ感想として「中流階級に生まれたのが申し訳なくなってきた」と言ったところ、「自らの特権性を自覚することが大切」と諭された。それで思い出したが、同じ先輩が貸してくれた作品集『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(大前粟生)の表題作では、周囲の女性差別的な発言に曝され続けるうち自分が男性であることに罪悪感を抱くようになった主人公・七森の様子が描かれていた。中流階級と低所得層、男性と女性の関係をそっくりそのまま重ねることはできないけれども、加害する側、差別する側に生まれてしまったことのある種の「どうしようもなさ」と闘っていかなければいけない、ということは共通している。闘っていかなければいけない、と結論付けたところで赦されるとか全然思ってないけど、書いておく。

 

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

 

 

 

 

老犬の介護について調べているうち、老犬ホームなる犬専用の介護施設があることを知ったのだが、施設の紹介画像がなかなか衝撃的だった。


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老犬ホームの1日【きみとさいごまで】|【西日本新聞ニュース】

 

この写真………幸と不幸、愛と残酷さ、生と無のアンビバレンスが一気に押し寄せてきて、なんとも言えない虚ろな気持ちになる。

ちなみに老犬は体の仕組み上、横向きに寝ると気分悪くなりやすく、伏せの体勢(あるいは写真のような体勢、これ何なんだ)で寝るのが良いとされているらしい。そうだとして、これでいいのか犬たちよ。

 

ドッヂボールペナントレース - 2021年4月7日の日記

 

なんとなくもう4月9日ぐらいの感覚でいたけどまだ4月7日だ。ラッキー!

 

寝て起きたら体調はすっかり回復していたが、念のため病院を受診してくださいと職場から要請があったので、午前中に市内の病院のコロナ外来へ行って問診とPCR検査をしてもらった。この程度の症状ならPCR検査は自費で受けることになるかと身構えていたが、意外と保険適用だった。介護施設で働いているのを鑑みてのことかもしれない。

それにしても、こんな超軽症の患者にも感染防止の完全装備(踏める)で対応しなければいけないなんて医療現場はどんだけ大変なんだ。「1%でも感染してる可能性がある以上は」という理屈は分かっているつもりだけど、今も発熱してるとかならともかく受診時はめっちゃ元気だったから、かなり申し訳なかった。申し訳なさを感じると昔からの怒られ癖(?)が顔を出し、防護服姿のお医者さんの問診を受けながら「今から怒られるのかなぁ」と勝手に縮こまってしまった。お医者さんは優しかった。

 


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唾液検査の説明プリントに載ってたいらすと可愛かった。何この顔。

 

 

阪神ファンの父親がリビングのテレビで野球中継を観ており、夕食前に少しだけ一緒に観た。

他のスポーツ全般にも共通することだが、野球における特定のチームの応援って側(がわ)だなと思う。例えば将棋・囲碁ファンがプロの対局を観戦するときには戦い方や対局内容を楽しむのであって、どちらが勝って負けてというのは副次的な楽しみであるという考え方が一般的だ(と思う)が、野球ファンは贔屓のチームが勝ったか否かを何よりも重視する。阪神が優勝するかどうかは野球本来の面白さからは離れたところにある。どうせならピッチャーやバッターの動き、ランナーや外野守の立ち位置とかを見た方が野球としての楽しさを味わえるんじゃないかと思うが、野球中継のカメラワークは勝敗を追うことしかできない作りになっている。私はスポーツ全般に興味がない(興味を持つキッカケがなかっただけで、今後も興味がないまま生きるとは限らない)ので、たとえば野球が好きで阪神を応援しているという人が一体どういう気持ちでいるのか分からない(し、知りたい)。特定のチームを応援する時点でそのチームが数あるスポーツの中で特に野球を選んでやっている必要は全然ないように思える。なんていうか、野球が好きなことと阪神ファンであることの両立が想像できない。阪神ファンはある日突然阪神タイガースが野球ではなくドッヂボールで戦うようになったら、阪神タイガースのいないプロ野球を観戦し続けるのか、阪神タイガースが出場するドッヂボールペナントレースを応援するのか?

 

↑さも自分で思いついたことのように書いている(実際自分の頭で思いついたような気がしている)けど、これと全く同じことをダ・ヴィンチ・恐山が数ヶ月前にTwitterか日記(有料)かなんかで書いてたような記憶が、ぼんやりある。記憶って怖いなあ!

 

 

 

 

絵を描いた。ツイートに書いたとおり、メガネ越しに見た風景には色収差(色ズレ)が起こっていて、それをそのまんま絵に描くと変な感じになる。色収差とはレンズを通してものを見たとき、光の屈折率の違いによって色がズレて見える現象のこと。色がズレるって何だ?と思われるでしょうが、「色収差」で画像検索したらすぐに理解できます。

私はド近眼ゆえ、かなり度が強いメガネを掛けている。そのせいで色収差の程度が大きくなっており、もはや色眼鏡を掛けていると言っても過言ではないほど。こんなん絵描きにとってバリバリ有害なのでは?コンタクト着けててもある程度は色収差が発生するため、スマホで写真撮って参考にする手法から戸外制作に切り替えたところで「本当の色」を再現するのは不可能である。

でもよく考えたら視力が良い人でも個人個人によって見え方は異なるんだから、本当の色なんて元から存在しないはず(色の傾向性理論)。

じゃあ空は何色で、雲は何色で描けばいいんだ!色って何なんだーー!!

 

 

今日、体感ではだいぶぼーっと時間を過ごした感じがしてたけど気づけばたくさん文章が書けていた。ぼーっと無為に過ごすことは大切。無為に過ごすことも役に立つから良い、のではなく、役に立たないということこそが良い方向に働いている。

 

続・微微熱 - 2021年4月6日の日記

 

体調不良でバイトを休んだ。微微熱が続いているので、念のため今日(4月7日)病院に行こうと思う。コロナだったら嫌だなぁ

 

今日(4月6日)の日記

 

・元気だけど、集中して机に向かうにはわずかに気力が足りず、布団の中で動画見て一日過ごす

・体調が良ければ絵を描きたかった

・体調が良ければバイトに行くんだった…

・スカイダイビングの、ヘリから空中に飛び込む瞬間の動画を見まくって手汗がめっちゃ出た

小泉義之レヴィナス−何のために生きるのか』読んだ

・めっちゃいい音楽に出会った

youtu.be

・ギター弾けるようになりたいな