トビラノのブログ

日記を書いています

散歩・習性・飛躍 - 2021年1月22日の日記

 

 

 

エヴァみるの忘れてた!!!

 

みんながエヴァみてるときに私は犬の絵を描いていたよ。犬の難しい体勢をスケッチしていたらいつの間にか肩がバキボキに凝っていた。

 

 

 

今日は午前中は死んだように寝ていた。昼になってようやく布団から這い出て、蕎麦をたべる。

 

 

 

午後3時ごろ犬を連れて散歩へ。小雨、というかほぼ霧のなかを2時間ほど歩く。

 

歩くと言っても、犬が地面のにおいを嗅ぎながら進んだり止まったりするのに合わせているので、とくに運動になるわけではない。それでもおしりを叩いて急かしたりはせず、犬のペースでゆっくり。

 

におったりオシッコしたりとうろうろ歩き回る犬のうしろ姿を眺めながらぼーっと歩いていると、この一瞬一瞬が何物にも代えがたいものだと思えてくる。

明日世界が終わるなら一日じゅう犬と散歩したい。

 


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最近犬のことしか考えてないな。

 

 

 

夕方のテレビで、自粛期間中のストレス発散には日記がオススメ!と紹介されていた。嬉しかったことやムカついたことを書いておくと自分の感情のスイッチが認識できて心の健康によろしいですよ、とのこと。テレビでもそんなこと言うんだ。

 

周りでも最近になって日記をつけ始めたという話をちらほら聞くし、私もだし、今年は日記が流行ってるのかな。

人は孤独な時間が増えると内省的になる。

 

日記を続けてよかったことの1つは、テレビが言ってたのと近いけど、自分の習性みたいなのを把握できること。

私は、調子悪い日が続いたり創作的なこと(料理や絵、日記に書く文章)への意欲がぜーんぜん湧かない日が続くとすぐ「もう一生ダメかもしれない」と思ってしまうんだけど、日記を読み返すとそういうのはたいてい2、3日で終わっている。楽しくないときの時間の進み方ってめちゃくちゃ遅いから、渦中にいると「今日みたいなダメな日々が永遠に続くんじゃないか」と思ってさらにBADになってしまうんだけど、その波が数日で収まることが分かっているとそんなにBADじゃなくなる。

おかげで調子悪い日の調子悪さの底が浅くなったし、逆に調子よくなったときに高低差で調子に乗っちゃうことも今のところなくなった。おだやかな暮らし。

 

 

 

さっきTwitterひらいたらヒプマイのツイートが目に入った。

 

 

 

日付が変わってきょう1月23日は、天谷奴零の誕生日らしい。

 

天谷奴零の自己申告だとしたらこの誕生日は絶対ウソだし(どこまでもヤラシイ男だ)、仮にホントの誕生日ならこの男は生まれたときから天谷奴零としての人生を歩むことが決まっていた…なんて悲しい話になりかねないけど、それは置いといて。

 

キャラクターの誕生日を祝うってなんなんだ?

 

アニメとか漫画とか、我々とは別次元の(架空とは言いません)キャラクターの存在自体を超越的に信じている派なんだけど、その人たちの誕生日を祝うという感覚は全くわからない。誕生日とか言われた瞬間に「いや、架空じゃん」と興ざめしてしまう。

 

何なんだろな。たぶんだけど、ある種の論理の飛躍(飛躍の論理?)によってキャラクターの存在を認めていて、その飛躍の過程で人間の「人間的な」側面を完全に無視することで論理を成り立たせているつもりになっているから、そこで誕生日とか持ち出されると、そのキャラが母親と父親の交尾によってこの世に生まれたこと、幼児だった頃から数十年かけて今に至ること、いつかは必ず死ぬこと等々、われわれ人間の世界の理(ことわり)を想起してしまい、「どの世界に住んでいるの!?」と脳がバグる感じになる。

 

というか単純に、何年経っても歳をとらないのに誕生日だけ設定してるのおかしい。

 

でもヒプマイキャラがカレーメシの宣伝してるのは許せるのに、誕生日のときだけ冷たくなってしまうのはなんでだ。あれは二次創作だから?