トビラノのブログ

日記を書いています

ワタシは死なない - 2021年4月15日の日記

 

昼過ぎ、母方の祖父母の家に行き、ちょっとした用事を済ませる。

前日描いたポピー畑の絵を額に入れてプレゼントした。絵を描き始めたことすら言ってなかったので二人とも大変驚いていた。


f:id:tobirano:20210416090522j:image

 

祖父母はここ数年で急激に老いた。祖父は足が衰えて、杖をついて歩くのがやっとになり、時々は車椅子で移動することもある。祖母も同じく足が弱り、二人とも床に座ることが難しくなった。和室でも椅子に座っている。そんな状態なのに、家の中に手すりを設置するよう提案したり手押し車の購入を勧めたりすると毎回「そんなの年寄りくさい」「今はまだ大丈夫」などと言って頑なに拒否する。母は「もう年寄りじゃないか」と機嫌を悪くする。今回の用事というのも改めて老人用の補助器具の購入を検討してもらうことが目的だったのだが、結局「要らない」と言われてしまい何も進まなかった。こういう時、孫である自分が口を挟んだところで事態が良い方に進むはずがなく、自分の無能さにただ愕然とする。

 

祖父母と話していると時々、それが他愛もない話題でも、どうしようもなく涙が溢れそうになることがある。ただ彼らが老いてしまったことが悲しいのではなく、老いによって今まで見ないフリをしていた生々しい生が白日の下に晒されたときに突きつけられる、人生というものが、どうしようもなく恐ろしい。

安っぽいつながりに身を委ねて、生命、生きることの究極的な虚しさから目を背けている自分。自分の人生を生きて死ぬのは自分一人である、そのことから逃げている自分。祖父母はいつか死ぬが、自分は死なないと思っている自分がいる。

死んだ人との思い出を笑って話すことができないのは、人間に死が訪れるという絶対的事実を心の底では認めていないからだ。死ぬ人間と死なない人間との断絶。しかしワタシのいずれ死ぬことを認め、アナタもいずれ死ぬことを認めてこそ、初めてアナタという存在を丸ごと肯定することができるのではないか?私にはそれができない。