トビラノのブログ

日記を書いています

簡単と言えば簡単 - 2021年6月10日の日記

 

BGM: 快楽ギター - 奥田民生

 

open.spotify.com

 

一昨日から書いてるヤレバワカリストについてだけど、共通点、また一つ見つけた。

一昨日の日記で、妙に身軽な態度が彼らの特徴ということが伝わったと思うのですが、彼らは「まさにこの自分」が死ぬことについてもとっても軽〜い感じで捉えている。

 

ヤレバワカリストとして挙げた人生のパイセン、奥田民生の死ぬ歌といえば、パッと思いつくのは名盤であるところの『股旅』収録の遺言という曲。タイトルのとおり自分が死んだらこうしてくださいみたいな重めのことを歌っているけど、テープで早送り再生したみたいな笑えるコーラスが入っていたり曲調も気の抜けた感じで面白い。「嘘つきの僕はきっと/死んでしまったらきっと/あの世で地獄に墜ちるよね」という、文字だけ読むと何とも暗いけど拍子抜けするぐらい軽いノリで歌われてるこのフレーズが子どものころ大好きで、よくマネして歌っていた。

ところで股旅がリリースされたのは奥田民生がソロデビューしてから、30過ぎてからのことだけど、実は民生パイセンはユニコーン時代の25、6のときにも死ぬ曲を書いている。リンジューマーチという曲である。車に轢かれてあっさり死んじゃったけど天国に来てみたら偉人がいっぱいいて楽しいよという内容で、最後に「悩みは一つだけできないこと/それは死ぬことだ」と歌って終わる。スカして言ってるのでも難しくこねくり回したのでもなく、ただ死んだあとに死ぬことはできないという事実を述べることが、なんでこんなにカッコいいのか。

 

そして坂口恭平もよく死について口にする。歌があればわかりやすく紹介できるんだけど彼の場合は無数のツイートやnoteから情報を得てるのでやはり引用は省略するが、いのっちの電話をやっていながら自分の生死や死後のことについてはほんとに軽い感じで考えてることがわかる。いながら、という接続詞をついつい使ってしまったけど、もちろん自殺を防ぐことと死について明るく軽く語ることはいっっっっさい矛盾していない。

 

そして、今日新たに“どんと”もヤレバワカリストだなと気づいた。“どんと”はボ・ガンボスローザ・ルクセンブルクというバンドで歌ってギターを弾いていた男。余談だが“どんと”は父の大学時代の友人でもあり、父は彼のことを話すときよく本名で久富(くどみ)と呼びそうになっては私に合わせて「“どんと”はね……」と訂正する。彼のイズムを紹介することはしないが、歌をいくつか聴くだけですぐにヤレバワカリストだと分かるはずだ。その彼も死ぬ歌を持っている。もしもし!OK!!という曲で、「あの世に堕ちても電話するのさ/地獄で毎日電話するのさ/死んだはずでも」(恋人である「お前」に)と歌っている。実際に彼は若くして死んでしまったけど、彼自身が「死んだはずでも」と言ってるからには死んでからも女の子に毎日電話してるに違いない。この曲はボ・ガンボスのトリビュートアルバム『Collabo Gumbos Vol.1』にてThe Band Has No Nameという、同じくヤレバワカリストである奥田民生が参加するバンドによってカバーされている。

 

これらの曲の特徴はどれも明るく楽しく軽快に歌われていることだ。で、今また一つ共通点を見つけたんだけど彼らは「気持ちいいことが好き」という絶対的な軸を持っている。ギター=気持ちいい=生きること、歌=気持ちいい=生きること、という単純明快な方程式が頭の中にあるように見える。坂口恭平の文章や奥田民生、どんとの歌には女の子のセクシーさとかセックスのテーマがよく登場するが、それもセックス=気持ちいい=生きること、なんだろう。足の力を抜いたら快感、簡単と言えば簡単、である(ちゃんとBGM流して読んでますか?)。

そこで最初の話題に戻ると、彼らは気持ちいいことをして好きに生きてるからこそ、明るく楽しく軽快に死を歌うことができるのだ。死は、明るく楽しく軽快で気持ちいい生の一部でしかない。「死ぬこと以外かすり傷」というよくわからん迷言は、ヤレバワカリストに言わせれば「死ぬことすらもかすり傷」であり、「死ぬ気でやれよ、死なないから」というこれまたよくわからん迷言も彼らにしてみれば「死ぬ気で楽しんで、死ね」ということになるのではないか。繰り返しになるが、これは、命を粗末に扱うのとは全然違う。

 

どんぐりずの作品にはまだ死について歌われたものはないけど、彼らもヤレバワカリストなので、そのうちきっと出てくるはずだ。

 

 

BGM2: 最後にひとつ

 

open.spotify.com

 

 

ここまで昨日の夜に書きたくなってバーッと書いて、目がギンギラギンに冴えて寝れなかった。ここからはようやく今日の日記。

 

絵を描きました。

 

f:id:tobirano:20210610173240j:plain



f:id:tobirano:20210610173305j:plain



犬の連作。

色鉛筆でデカいものを描いたり背景を塗りつぶすのあんま楽しくないかも。昨日、親指サイズのちいちゃい猫を描いてるときが最も気持ちよかった。

 

頭がすっきりしないので昼ごはん食べてから1時間ほど自転車で公園を散歩した。人が少ないから堂々と歌いながら自転車走らせて気持ちよかった。たまに人とすれ違っても自分が高速で移動しているおかげですれ違う人たちの顔は集中線みたいにシューンとブレて、見られてるかなぁとか気にならなかった。人の目を気にしないためには高速で動き続ければいいことが分かった。物理的な移動に限らず、、でも物理的な移動も必要だ。

 

f:id:tobirano:20210610173402j:plain



途中、すごく人懐こい猫がいて、自転車停めて5分ほどベンチで一緒にくつろいでたけど、私が餌をくれない人間であることを悟ったらすぐに立ち去ってしまった。そういうシンプルなところ見習いたい。

 

今読んでたMUSIC MAGAZINEのどんと特集の中で、どんとの奥さんが彼のことを「顕在意識と潜在意識があまり離れてない」と表現していて、数日前からヤレバワカリズムについて考えてたことがスッと腑に落ちた。顕在意識と潜在意識があまり離れてない。なるほど。

ヤレバワカリスツが伝え続けてる「気持ちいいこと」を知っているのは潜在意識の方だ。いうたら右脳のことでもある。「やればわかる、とにかくやる」とは、身体の力で顕在意識を黙らせること。ヤレバワカリストは初めからそれができるから彼らにとっちゃあ別にわざわざ言わなくてもいいことなんだけど、それでも「やればわかる、とにかくやってみよう」と伝えるのは、それがみんなに教えたくなるくらい「気持ちいいこと」なんだという証拠になるだろう。それというのは顕在意識と潜在意識が離れていない状態になることである。ああ、私もなりたい。