トビラノのブログ

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キラキラの死生観 - 2021年6月15日の日記

 

徒然草読み進めています。めっちゃくちゃ面白い。

いろんなエピソードや考えたことを思いつくままに列挙していくスタイルで書かれていて、そうやって書かれた全部で243個の短い文章をまとめた本なんだけど、読んでみると国語の授業で習ったときと全然印象が違う。

私の場合、授業で習ったのは、弓道の修練において初心者は二本の矢を持ってはならないと説いたある師匠の話(第九十二段【一本の矢】)や、木登りの名人が「飛び降りても平気な高さになったときに一番用心しないといけない」と言った話(第百九段【過ちを犯すとき】)などが印象深い。たしかにこれも面白いっていうか、感心する話だけど、どこか説教臭くて取っつきにくい。それよりもっと核心に迫った面白いイズムが徒然草にはたくさん書かれている。

たとえば、

「(前略)迷っている者はこれ(老いと死)を恐れることがないが、それは名利におぼれて、死期の近いことをかえりみないからである。(中略)愚かな人はまた、人生が短いことを悲しむが、それは人生を永遠のものにしたいと考えて、生成変化する自然の摂理を知らないからである。」(第七十四段【何を追い何を待つ】より抜粋)

これは坂口恭平奥田民生やどんとが自分の死後のことについて朗らかに歌うことと繋がっているし、

「一刻といえども惜しむ心を持たない場合には、人は死人と同じである。」(第百八段【一刻を惜しむ】より抜粋)

これは『命売ります』にて、サラリーマン時代の方が「はるかに死んでいた」と表現した三島由紀夫と寸分違わず同じことを言ってる。

こういう、一分一秒が輝くようなキラキラの死生観を紹介した方が、前述の説教臭いエピソードを二、三並べるよりはるかに面白いのに!こっちの方が現代にも通用するテーマだし!!どう考えてもこの死生観が徒然草の核となっており、この観点を抜きにして徒然草を説明することはできないと思うのですが、意図的にしろ分かってないにしろ、その大事な部分を紹介しないままやり過ごしてしまうあたり、やっぱ国語の授業って恐ろしくつまんなかったんだなと思った。

 

 

1週間ぐらい前から、はてなブログと併せてnoteにも日記を公開している。はてなブログでも稀にfavをくれたり読者になってくれる方がいるけど、noteのほうが知らない人からの反応が多い傾向にある。noteはサービス内でユーザー同士のコミュニケーションが生じやすいような空気がある。なんとなく。

もともとSNSの魔力に取り憑かれやすいタイプなので今のうちに明らかにしておきたいのだが、私は「いいね」でパッケージされることを期待して日記を書いてるのではない。