トビラノのブログ

毎日エッセイを書いています

言葉を言葉に - 2021年7月25日の日記

少し忙しかったこともあり、ブログを毎日更新するのをやめて何か思いついたときにポツポツ書こうスタイルでしばらくやってみたが、これはあんまり良くなかった。

日記のとき、つまり何でもいいから毎日書くと決めていたときは(ちょいちょい書かない日もあったけど、それはちゃんと「休んだ日」としてカウントしておいて、毎日書くことを基準に設定することで勢いを保っていた)、とにかく毎日更新することが目標だったので自然と書く内容のハードルは下がっていた。当然つまんないこともたくさん書いたけど、なにしろ量が多かったから、時々は面白いと言ってもらえることもあった。また書くことが習慣になっていたので、書いてないときでも何か思いついたら「これ今日の日記に書こう」とニヤニヤしながら考えを膨らませたりして日々を過ごしていた。それも楽しかった。

思いついたときに書くスタイルにしてからは、書くことのハードルが自分の中でグンと上がり、何か思いついても記事として公開するまでに日記の何倍も時間がかかったりボツにすることが多くなり、結局何も書けなくなってしまった。日記を書く習慣から解放されて他のことをする時間は少し生まれたが、忙しさよりもうまく書けないことのストレスの方が大きくなった。打率3割のバッターが、忙しいからと打席数を3割に減らして代わりに打率10割を目指すようなことをしていたのだ私は。あまりに無理がある。

質を目指すにはやはり量が必要だと気づいた。質より量とはよく聞くが、あれは嘘である。初めはただの量しか書けなくても、量を続けるうちに少しは質にも手が届くようになるはずだ。そして半年ほど続けるうちに、いつの間にか「量が質」を「凌駕しつ」つあることに気づくでしょう。なんつって。バカヤロー!!!

 

↑言葉遊びで笑かすときは理屈よりも流れと勢いが大事。ラーメンズの「不透明な会話」「モーフィング」なんかを見てそう思いました

 

そんなわけで日記を再開します。

 

やりたいことが多すぎる。文章書くのも楽しいしピアノ弾いたり歌つくるのも好き、絵も続けたいし、木彫りをやってみたい、油彩を始めたい、聴きたい音楽も見たい映画も読みたい本もありすぎる。ゆっくり散歩したりお茶飲んだりもしたい。全部やろうと思うといくら時間があっても足りない。何もしないでぼーっとする時間も欲しいし。

だから「暇なときでいいから○○してください」と言われると困ってしまう。○○をするために時間を作ることはできても、することがなくて暇なときって全然ないので。「暇なときに」という言葉遣いは、相手に時間を割いてもらうことの重大さ、取り返しのつかなさから目を背けているように聞こえてならない。堂々と、責任を持って「○○してほしいんでしてください!」と言うべきではないか。それが人と人との付き合い、魂のぶつかり合いってもんやろがい。

別に「暇なときに」とワンクッション置いて話す人がそんな深く考えているとは思っていない(馬鹿にしてません)。なんとなく相手の都合を考慮したいという気持ちの表れでしかないのだ、たぶん。私も言葉選びが気になってしまうだけで相手を糾弾したいわけではないから、あまり言葉の意味を追求せず、まあ慮ってくれてるんやろな、ぐらいの深度で飲み込むように努めている。でも気になるのは気になるから、ちゃんと言葉を読もうとする人が読んでくれるこの場所ではモヤモヤを言葉にしておきたい。みんなお付き合いありがとう。