トビラノのブログ

毎日エッセイを書いています

ドーデスとネイノーさんは面白い


1週間前からラーメンズにハマっているにわか中のにわかですが*1、「ドーデスという男」(2000年)と「ネイノーさん」(2001年)をYouTubeで見てとても感動したので、今更ながら感想を記していきます。

 

youtu.be
ドーデスという男

 

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ネイノーさん

 

ドーデスとネイノーさんはどちらも、知的障害を持ったキャラクターのように見える。ドーデスには小林(シュッとしてる方)、ネイノーさんには片桐(天然パーマの方)という友人がおり、彼らは薬を出したり布団を敷いたり、食事の手配をしたりとヘルパーの役割も担っているようである。この「障害者&友人兼ヘルパー」という関係にある二人の様子から、私のバイト先である障害者グループホームの空気そのものを感じて、むっちゃくちゃ驚いたし感動した。二つのネタの笑いの構造の違いについては後述するが、まずは「障害者&友人兼ヘルパー」の精緻な描写について語らせてほしい。

 

例を挙げると「ドーデスという男」では、
・小林が「どうです?」と言ってドーデスの逆鱗に触れてしまう不条理さ*2
・(おそらく成人であるにも関わらず)行動や仕草が幼く見えるところ
「ネイノーさん」では、
・論理的に繋がらない発言のくり返し
・何でも口に運ぶところ
・自分から話を振っておいて相手が喋りだしたらすぐに興味を失うところ
これらすべて、実際に私が出入りするホームの利用者さんなんじゃないかと錯覚するくらい精度の高い「障害者あるある」である(もちろん、障害者でも「あるある」に収まらない人はいくらでもいます)。特に震えたのはネイノーさんの「いらねーよ。何でもかんでも欲しがると思うなよな」というセリフ!日ごろ障害者は健常者から下に見られがちであり、そのせいで健常者の舐めた態度に非常に敏感になる方もいる。それを踏まえた上で「障害者だからって、健常者が要らないものを渡されて簡単に喜ぶと思ってくれるな」と鋭く指摘しているようにしか聞こえなかった。そして、一見変わったそれらの特徴を当たり前のように受け入れる友人兼ヘルパーの態度は、ホームの介護者の姿そのまんまだった。脚本・演出の小林賢太郎は相当研究したか、あるいは親しい人に知的障害を持つ人がいたのかもしれない。

 

多くの人はまだ知らないと思うし、私も半年前まで知らなかったけど、グループホームでの生活はみんなに自慢したくなるほど面白くて楽しい(もちろんそれだけではないのも確かだが*3)。大勢の人と一緒に過ごすのが楽しいというのもあるが、それとは別に、今までの人生で知的障害を持った方と近くで関わる経験が少なかったこともあって、彼女らとの付き合いで日々新しい“常識”に出会って脳が震えるような面白さを感じることも多い。
たとえば、私が通うホームで暮らす知的障害者のNさん(仮)はお喋りの感じがネイノーさんにちょっと似ている。Nさんと出会った当初、私はNさんの“常識はずれ"な言動が面白くてよく笑ってしまっていたが、あるときNさんに「そんなに笑って失礼やわ」と喝を入れられた。その時になって初めて、論理が破綻した会話も興味の対象が次々に変わっていくのも、彼女にとっては“常識”なのだと気づいた。論理の外にも世界は広がっている、と。自分がいかに論理に縛られた、小さくてダサい人間だったのか思い知らされ恥ずかしくなった。その日からNさんとの会話は新しい世界を知る機会となり、面白さはfunnyからinterestingへと変わっていった。論理に囚われない考え方をするNさんという一人の人間がいることの面白さ(=interesting)。


健常者が障害者を面白がることには少なからずスラムツーリズムな側面があり、裏を返せばそれは障害者にたいする理解のなさの表れでもある。Nさんが「失礼やわ」と言ったのは、私のそういう部分を直観的に察知したからかもしれない。

しかし、だからといって健常者と障害者との清廉潔白でない付き合いを禁止することが差別の解消につながるとは思えない。当たり前だが、障害による特徴を笑ってほしくない人もいれば、自分から笑かそうとする人もいる。大切なのは、funnyとinterestingが共存する中でーー障害者と健常者の“常識”が交錯する緊張感の中でーー健常者と障害者ではなく一人の人間同士として、より良い関係を模索し続けることである。


表題のコントに立ち返ろう。私が「ドーデス」「ネイノーさん」に感動するのは、笑いの場において極度に戯画化されることのない、一人の障害者と一人の健常者の姿を見ることができるからである。ドーデスやネイノーさんが“常識はずれ”な言動をとったとき、隣にいる友人は少しも笑ったり指摘したりせず*4、愛すべき隣人の“常識はずれ”を当たり前のように受け入れているのがわかる。笑っているのは観客の方だ。観客は思わず笑ってしまうと同時に、「なぜ笑うのか」を自問させられ、常識の外の新たな“常識”へと誘われている。ラーメンズのコントは、『彼らは「頭のおかしい変人」として描かれていない』という可能性に気づくきっかけを観客に与えているのである。

ドーデスとネイノーさんは面白い。その面白さはまさに、funnyとinterestingのあいだで揺れているところにある。

 

二つのネタにおける笑いの構造が異なることには注意したい。「ドーデス」において小林は友人であるドーデスを邪険に扱う様子を見せるが、これは「浮気相手の兄が邪魔になったから排除する」という恋愛至上主義時代のクリシェのようなもので、ロマンティック・ラブ・イデオロギーが崩壊しつつある現代の目線で見るとひどくつまらない。一方「ネイノーさん」では「憑依」という強烈なナンセンスによってコントとしての強度が保たれ、より普遍的でテクニカルな笑いになっている。片桐はツッコミ役ではなく、ひたすらネイノーさんのよき友人として描かれる。その点で私は「ネイノーさん」の方が好き。

 

 

(2021年8月4日:一部加筆・修正)

 

 

 

*1:ラーメンズの面白さを知った翌々日くらいに氏の解任が報じられて悲しかった

*2:不条理に見えるが、たぶんドーデスにとっては筋が通っている

*3:ちょっと前に利用者の一人と関係が悪化して辛い時期があった。最近は大丈夫になってきた

*4:ただし「ドーデス」では布団にダイブし続けるドーデスに小林がしばきツッコミを入れる場面がある。この部分は特につまらない