トビラノのブログ

毎日エッセイを書いています

時間は川の流れのように

 午前6時、朝日が眩しくて目覚める。ミックスジュースとパンを食べて少し本を読む。シャワーを浴びる。描きかけの絵を仕上げる。冷房をつけなくても風がそよいで涼しい。いい気持ち。
 朝は時間が長い。たとえば同じ1時間でも、朝起きてからの1時間と夜寝る前の1時間では朝の1時間の方が「長い」。夜型の人は夜の1時間の方が長いかもしれない。いずれにせよ、1日の中で朝と夜では明らかに時間の進み方が違っている。朝と昼も違うし、昼と夕方、夕方と夜も少しずつ違う。時間は常に一定に流れてはいない。川の流れのように速度や温度が刻々と変化する、そういう時間の中に生きている。

 時間の流れは集団が決める。ある人が「時間は客観的・科学的に一定である」と信じるのは、その人が属する集団にとってはその方が都合がよいから。たまたま一つの(とてつもなく巨大な)集団の都合に適応しているだけだ。集団の数だけ、異なる時間の流れがある。……これは、つい先日読んだアマゾンの奥地に住む少数部族についての本に大いに影響を受けてます。

 たとえば普段は時計を気にせずに暮らして、たまに電車に乗って仕事に行く人には、二つの時間が流れている。深い森の湧き水のような時間と、蛇口から出しっぱなしの水みたいな時間。二つの時間は多重露光のようにかさなる。
 どちらか一方の時間だけを真剣に生きるよりも、複数の時間の流れを中途半端に行き来する方がずっと難しい。曖昧な時間。無数の時間の流れを感じることができれば、そのうち時間は消え、宇宙遊泳する気分で我を忘れて生きられるのではないか。