トビラノのブログ

毎日エッセイを書いています

うんこを漏らす

 犬がリビングで下痢便を漏らした。
 アマゾン先住民の文明化について父親と話していたときだった。部屋をぐるぐる歩き回っていた犬が突然うんこポーズになり、カバーする暇もなくほとんど液体に近い下痢便をぶりぶりした。便の強烈なニオイが部屋を満たす。最近ドッグフードの代わりに「おいもスティック」をよく食べていたからか、甘いようなクサいような独特のニオイがする。急いで犬を避難させようとしたが、犬はうんこポーズで力んだおかげで腰を抜かし、フローリングの床をうまく歩くことができず下痢便の上をのたうち回って移動した。
 父と私は「あーあ」と顔を見合わせて失笑した。しかし犬を責めても仕方ないのでさっさと切り替えて掃除に取り掛かる。父は床の水拭き。私はカーペットの水洗いと、犬を濡れタオルで拭く。いくら下痢便の上をのたうち回った犬でも拭けば綺麗になるし、床には消臭スプレーを吹いておけばニオイもすぐ気にならなくなる。うんこなんてそんなもん。それより犬の便意に気づいてやれなくて申し訳なかった。
 私も小さいときは犬のうんこが手についただけで大騒ぎしていたが、介護の仕事で日常的に人の排泄介助をするようになってからはあまり動じなくなった。排便を我慢し続けると漏らしてしまうのは生き物として当たり前。汚ければ洗えばいい。それだけのことだ。
 しばらくすると犬はスッキリして眠った。

 唐突に、奥田民生『カイモクブギー』の一節を思い出す。
「あたりまえみたいな顔してろ/でないと今をのりきれないぞ」
 笠置シズ子『買物ブギー』を捩った曲名が楽しい、10年以上経っても色褪せない名曲だ。民生は決してうんこのことを歌ったわけではないが、あたりまえみたいな顔してろ、というメッセージはうんこについても共通して言えることだと思う。うんこは臭くて汚い、うんこを漏らすのは恥ずかしい、と言ってばかりでは解決しないことがある。

 もう一つ思い出した。何年か前に友人らと語彙大富豪という遊びをしたときのこと。語彙大富豪は各々が適当な言葉を書いたカードを手札に持ち、前の人よりも「強い言葉」を出していくゲームで、強さは都度全員で審議する。たとえば「弓矢」と「銃」では「銃」が勝ち、「銃」と「美少女」では「美少女」が勝つ(レオンはマチルダを殺せない)……というように、強さは恣意的に決まる。
 友人とこの遊びをしたとき私は「あの日交わした約束」か何かのカードの上に、ウケ狙いで「尿意」を出した。10年越しの再開の約束があったとしても排泄欲には勝てないし、おしっこを漏らした状態では人に会いに行けないだろうと弁を振るった(便だけに)。その場には私を今の職場に紹介してくれた先輩もいて、先輩が「おしっこを漏らしてでも果たしたい約束なのではないか」と反論していたのを覚えている。思えばあのとき私はおしっこを漏らすのは汚いことだと面白がっていたが、先輩は漏らすことに対して「あたりまえみたいな顔」をしていたのだった。今同じゲームをしたら私も「あの日交わした約束」派に立つかもしれない。審議の結果「尿意」が勝ったかどうかは忘れてしまった。